シリコンバレー転職騒動

vol.6  新たなスタート (Bioベンチャー 11-12月号掲載)

 

77日 掛け持ち開始

いよいよ2カ月をめどとした掛け持ち仕事の開始.基本的には朝8時半から午後4時半頃まではフルタイムの仕事,その後次の職場に移動して5時から9時頃までがパートタイムという時間割.こちらではやることさえやっていれば残業ゼロでもそれほど気まずくはない.まあこれは一般論であって,気まずい場合もあるけれど.だが日本と比べると,労働時間に関する感覚は明らかに違う.必要以上に長く働かないということは,それ以外の時間は自分のために使うということでもあり,通常それは趣味であったり社交であったり,家族や友人と過ごすことであったりする.しかしそれがもう1つの仕事にもなる場合があってもいいかも知れない.

 

84日 バイオベンチャーのフレキシビリティ

掛け持ち開始から1週間.今までのところ,ほぼ規則正しく8時間プラス4時間というペース.最初は新しい会社のシステムを理解し,これまでのデータなどをじっくり見て現状を把握しなければならないので,実験室にはあまり行かずにオフィスで書類に埋もれる.実験室も私以前に入社している2人のケミストが立ち上げたばかりで,私が使う予定のスペースには何もないに等しい.始めたくても当分何も始められる状況ではない.

実際にやってみると,やはり何となく中途半端な気もする.少なくとも形の上では,片方の会社では相変わらずフルタイム社員なのだけれど,もうすぐ退職することが決まっているからか.それにしてもいくらビザの問題があるからとはいえ,2つの会社が1人の従業員に対してここまで個人の都合を尊重してくれるということに,日本人としては驚かずにいられない.

さらに都合がいいことに,現在の会社は私が去ると合成化学関係の実験器具や試薬類が大量に余ることになる.これらは基本的に捨てるのにもお金がかかるものである.一方次の会社はスタートアップなので,実験室はまだスカスカ.基本的にどんなものでも歓迎である.そこで主な実験器具類をまとめて私と共に引越しすることにした.古いものばかりではあるが捨てるには惜しいし,それどころか捨てるだけで費用もかかる.一方仮にすべて新品を買い揃えればかなりの額になる.一式まとめてただ同然の価格で売買すれば双方にとっていい話なので,もちろん両社とも異存はない.こういったあたりも,とにかくフレキシブルである.

 

105日 スタートアップの不便さ

掛け持ち開始4週間が過ぎ,5週目スタート.両方の会社のミーティングに参加するために,時間のやり繰りがちょっと複雑になってきた.ベンチャーがフレキシブルなのは確かだが,ここへ来てスタートアップとはかくも不便なものかとも思い知る.実験室というのは,いかに多くの種類の小物が必要であるかを痛感するのである.近々多くの器具類を持ってくる予定ではあるが,実験室なら当然あるべきものがあれもこれも全然ないのだ.何もない所から始めているのだから当たり前なのだが,どんなラボも最初は誰かが苦労してセットアップしたこと,またそうやってでき上がった後のラボに加わるのがいかに楽なことかがよくわかる.例え自分の好みと多少違っていたとしても,何もないよりはずっといい.逆に言えばスタートアップの初期は自分の好きなように整えていけるということなのだが,あれもないこれもないというのは結構フラストレーションがたまるものだ.完全な日本人である私にとっては,一般的と思える器具の名前でさえ日米間にはいろいろと差異があることも,ストレスのもとになる.カタログで探そうにもどういう単語で検索すればいいのかわからないことさえあるからだ.まあこれはスタートアップが不便というより,私が日本人であるがための問題だが.たださらに言えば,ラボ以外に例えば図書室はおろか雑誌や書籍などもほとんどない.まともなコピー機が入ったのも,しばらく後になってからだった.とりあえずあるものと言えば,会社を大きくしていつかそういったものすべてを充実させようというささやかな夢だろうか.

 

137日 掛け持ち終了間近

2つのバイオベンチャーでの掛け持ち勤務も,残り1週間となった.さすがに前の会社の方はやることが少なくなってきたのだが,それでも何だかんだとあるのが不思議と言えば不思議.結局私が関与し,ここまで残る理由ともなったプロジェクト自体はまだ続いているし,順調に行けば今後もケミストを必要とするからである.今後は個人的なコンサルタント契約という形になる予定.アメリカという社会は,雇用形態についても非常にフレキシブルである.

 

144日 さよならGeron

とうとうGeron社を去る日になった.約1年前に低分子のMedicinal Chemistryグループが解散して以来,居候していたAssay Development & Screeningグループのみんなと,もう1人のボスである会社CSOと共に,Palo Altoのレストランで送別ランチをしてもらった.私が夜も仕事ということで当然ランチなのだが,そうでなくてもこちらでは,勧送迎イベントはほとんどの場合ランチである.夜にいわゆる飲み会みたいなものを設けることもないではないが,比較的稀である.

トータルでほぼ丸2年この会社にいたことになる.たったの2年ではあるが,その間実にさまざまなことがあったので,思い返してもとても長く感じるし,大変名残惜しい.実に多くのいい同僚や上司に恵まれた職場だった.ただこれからも言ってみればご近所さんなので,ちょっと試薬が足りないとか器具を借りたいといった場合にも近所の他社に知り合いがいて融通が利くことになる.会社という組織ではあってもいわゆるベンチャーの場合,大企業と比べるとその中で「個人」の占める割合がかなり高い.そしてそのことが,会社としてひとつひとつの細かいことに迅速に対処していけるフレキシビリティあるいは機動性の基盤ともなっている.

 

147日 新たなスタート

2003年6月16日,土日をはさんでこの月曜日からAnacor社のフルタイム社員となった.年明け直後のレイオフ発表により突然始まった私のシリコンバレー転職騒動も,5カ月ほどの期間を経てようやく一段落である.雇用期間の延長,ビジネスパートナーからの慰留,他社での面接,そして永住権申請に関する複雑な事情のため,2カ月余りに渡った移行(掛け持ち)期間を経て,いよいよ新しい挑戦の始まりだ.今度の職場には入社前からの知り合いが1人もいない.実はスタートアップでこういうケースは稀で,通常は昔の同僚とか上司とか部下といった「何とかつながり」があるものだ.それがない場合はいくら面接を経て採用されたからといっても,自分が実際に「仕事ができる」ことを早期に示さなければならない.自分のこれまでのことを社内の誰一人として見ていないのだから,それなりの緊張感ではある.また会社としては最初の数年間,設定されたマイルストーンを次々にクリアしていかなければならない.もちろん研究の世界で物事が予定表通りに行くことなどないのだが,少しでも期待される筋書きに近づける努力をしなければならない.初期に加わる社員は即戦力として創造性と生産性を発揮し,めざすゴールに最短時間で到達できるようひたすら走るのだ!

 

私から見たシリコンバレー

最後にこの誌面をお借りして,私が暮らしているシリコンバレーについて,思っていることをいくつか書いてみたい.

この地で暮らしてみると,非常に多くの外国人が住んでいることがわかる.もちろんアメリカの中でもそういう場所は限られるのだろうが,シリコンバレーに来たことで,日本にいたのではまず会う機会のないさまざまな国の人々と出会うチャンスができた.特に実感するのは,太平洋を渡って初めて近隣アジア諸国の多くの人々と出会えたことである.日本にいれば物理的距離は近いにもかかわらず,日常的な感覚としては別世界としか思えないアジア諸国だが,遠く離れたシリコンバレーでは逆に非常に身近に感じられるから不思議だ.そして抱く疑問は,これだけ近隣アジア諸国の人たちがいて,なぜ日本人はほとんどいないのだろうということである.実際にはそれなりの数がいるのだが,その大部分は留学生か日本企業の駐在員の方々であって,前回提唱させていただいた「留職」型で働く人にはほとんど出会わない.後年この地でも知人が増えてくるに連れ,日本人起業家や現地採用で働く日本人もそれなりにいることはわかってきたが,他のアジア諸国と比較するとかなり少ないことは間違いない.

もともと仕事の面でそれほど自信があったわけではない私であるが,少なくとも自分がかかわるメディシナルケミストリーの分野では,アメリカだから,シリコンバレーだからといって必ずしもすごい人たちばかりではないことがわかってきた.逆にいえば日本の平均レベルは非常に高いということである.

 

日本人はもっとシリコンバレーに!

そうはいっても,シリコンバレーはサイエンスの分野で世界をリードする地域の1つであることは間違いない.加えてこれほど多国籍な環境でありながら,特にバイオインダストリーの分野で,日本あるいは日本人の存在感が少々なさ過ぎるのではないかと感じている.科学技術において先進国の1つであるはずの日本.一般論として,日本人は先行技術に追いつくのは得意だ.追い越すまではなかなかいかないとしても,少なくとも最先端の研究をフォローして応用することはできるはずだ.もしそうであるなら,この地でもう少し日本人が目立っていてもいいのではないだろうか.この先,いろいろな意味で日本が世界から取り残されてしまいはしないだろうか.4年ほど前,日本の会社からシリコンバレーのベンチャー企業へ出向していたときに,日本国内では体験し得ない環境に接して,そんなことを感じてしまったのだ.それではどうしたらいいのか.「日本人はもっとシリコンバレーに来なければいけない」.大変自分勝手な考えであることは承知しているが,そんな一種の「使命感」を持ってしまったことが,この地へ移住する決心につながって行ったのである.

もう1つの理由は,「さわやか」のひとことに尽きるシリコンバレーの気候と開放的な雰囲気である.正直に言えば,実はこの一点でこの地に惚れこんでしまっただけなのかも知れないとさえ思う.これはしばらく滞在していただくとわかるのだが,とてつもなく広くて大きな青空が,どんなときにも気持ちを前向きにしてくれるのだ.

 

相互理解のために

日本人がもっとシリコンバレーにいるべきなのは,日本や日本人のためだけではない.それにより他国の人々に日本や日本人のことをもっと理解してもらい,不必要な偏見や誤解をなくすことにもなる.例えば東欧出身のある同僚は以前誰かから,日本ではいわゆる亭主関白で「男子厨房に入るべからず」なのだと聞かされ,今でもそうなのだと信じていた.まあ実際のところ,現在もそういう家庭は少なくないかも知れないが・・・.また,日本では履歴書に年齢,性別は必ず記載し,おまけに写真までつける場合もあると言うと,とても驚かれる.アメリカでは,そういった情報は差別の原因になる可能性があるため,聞くことさえ許されない項目なのである.また中国出身の同僚から,1970年代までの中国農村部がいかに貧しく悲惨な生活だったかを聞かされたときは,同じ時代にそんなこともつゆ知らず,のほほんと暮らしていた自分が申し訳なく感じたものだ.話がやや大風呂敷になるが,異なる背景を持つさまざまな人たちが知り合い,意見や情報を交換することで,最終的には世界レベルで世の中が改善していくと思う.

なぜシリコンバレーなのかと聞かれれば,この地が非常に多国籍だからである.これまで出会った同僚の出身地だけでも,インド,中国,香港,台湾,韓国,ベトナム,フィリピン,マレーシア,イラン,イスラエル,ロシア,ハンガリー,ポーランド,イギリス,フランスといった具合で,まだ他にもある.他にどれだけそういう地域があるのかわからないが,私に言えるのは,少なくともシリコンバレーはこの目的に合致するということと,そういう場所は世界の中でもそれほど多くはないだろうということだけである.

20年前と現在とを比較してみれば,今後20年間にも現時点では想像すらできない程の多様な変化が待っていることが予想される.各種情報インフラの充実により世界がより身近になり,同時に個人個人に世界との関与が今まで以上に求められていくと思う.その時,私たちはどれだけ世界のことを知っているだろうか.

 

開き直りも大事

私たち日本人の1つの傾向として,良く言えば謙虚,悪く言えば自信が持てずに自分を卑下し過ぎるという点があると思う.もちろんこれは他の国の人々に見習って欲しいことの1つでもあるのだが,日本人としては,一般論として自分自身にもう少し自信を持ってもいいような気がしている.あるいはもう少し開き直るべきといってもいいかも知れない.多くの日本人が国際社会で堂々とできない最大の理由は,誰が何と言おうと英語が苦手なことだ.「英語さえできれば出て行けるのだけれど」という人は多いはずである.しかしそれを言っている間は絶対に何も変わらない.この問題に対する1つの解決策は,当然ながら自信が持てるだけの英語力を身につけることだが,それができないからみんな苦労している.実際,大人になってからでは英語圏に住んでいてさえなかなか上達しないのだから,日本の中にいて英語を完璧にするなんて不可能だ.したがって,「英語ができないから海外へ行かない」のではなく「英語ができないから海外へ行って何とかする」というくらいの開き直り具合が必要だと思う.私自身もそんな気持ちでやって来た.年齢的に30代も後半になっていてその程度のレベルだったので,もちろん苦労も多いけれど,今のところ後悔は全く感じていない.

 

最後に

人間はよくわからない相手に対しては警戒しながら接する.場合によっては戦うことさえ辞さない程に.一方で気心の知れた相手なら親密なコミュニケーションができる.個人レベルでも,組織レベルでも,国家レベルでもこの基本は同じはず.問題はどうしたら気心が知れるかということである.しつこいようだが最大の問題は言語の壁だ.言語以前に宗教や文化や歴史という方もいるかも知れないが,当面のコミュニケーションができなければ何も始まらない.そして世界がすでに多言語で発達してしまった以上,どちらかが相手の言葉を覚えるしかないのである.ただし最初から完璧である必要などない.「海外で働いてみる」ことを考えているみなさんにとって,今回紹介させていただいたシリコンバレーにおける転職の顛末が,少しでも参考になれば幸いである.

 

最後は本連載の主題からかなり脱線してしまいましたが,1年間おつきあいいただき,ありがとうございました.いつかまた,この後の展開についてご報告できればいいなと思っています.

 

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