シリコンバレー転職騒動
Vol.3 アポ取り作戦とネットワーク(Bioベンチャー 5-6月号掲載)
いざ実戦
実際に私が最初にしたことは,元同僚や知り合いに一気にメールを送ることである.「私のようなキャリアのメディシナルケミストを募集している会社を知っていたら教えて欲しい」.そしてレジュメを添付した.当時(2003年初頭),僅かな求人に多くの就職希望者が殺到していた.そういう状況では,後述する個人のネットワークが最も重要になる.採用担当者を動かすのは,何よりも信頼できる同僚や知人からの紹介だ.所詮,レジュメや1日の面接でその人を判断するのは難しい.信用できる知人が推薦する人物の方が,よほど確かなのだ.そういうこともあるので,会社によっては人を探してはいるものの表立った求人活動をしていない場合もある.ランダムに募集して得体の知れない候補者に時間を割くよりも,個人的な紹介を通じてのみ探したいという場合だ.これは隠されたジョブマーケット(hidden job market)とよばれる.この場合は個人のネットワークがすべてだ.
レジュメを10社に
就職活動というと,50通以上レジュメを送るという人も多い.私の場合知人友人,インターネット,およびジョブフェアーという3種類の経路で,とりあえずシリコンバレー近辺の計10社に出してみた.反応が悪ければもっと出すつもりだったが,結果的に10社中6社からインタビューの連絡をもらい,実際に5社に出向いた.興味深くまたありがたいことは,連絡があったこれら6社のうち4社が,何らかの形で個人ネットワークを経由したものだったことだ.応募したというよりも,知人が勝手にレジュメを転送してくれたところさえある.私自身かくして人脈の重要性を,身をもって体験しているのだ.
求人している会社からの最初のコンタクトは電話の場合が多い.その人がまだ求職中であるかどうか確認し,さらにその会社に興味があるかどうか確認した後,電子メールも併用しつつインタビューのスケジュールを調整していくのである.
Geron社が提供してくれた再就職支援ワークショップで磨きがかかったはずのレジュメを,まずはバイオ関係の情報サイト(http://www.biospace.com)でSenior Scientistの募集が出ていたA社とB社に送付.このときはやや焦っていて,知り合いにコネクションがないかどうかなど探す余裕もなく,いきなり送ってしまった.その後2社ともレスポンスがあったので結果オーライではあるが,本来はもう少しコネクションを探してから応募すべきであった.
ここで今回の転職活動に登場する6社について,表にまとめておこう.
会社 所在地 株式 レジュメ送付ルート
A社 Palo Alto 未公開 Web
B社 South San Francisco 公開 Web
C社 South San Francisco 公開 知人
D社 Santa Clara 未公開 知人
E社 South San Francisco 未公開 知人
F社 Emeryville 未公開 知人
所在地はすべてベイエリア(サンフランシスコ湾を囲むエリア一帯のこと),業種はドラッグディスカバリー(新薬開発),応募したポジションはメディシナルケミストリーのサイエンティスト(研究員)またはそれ以上である.
株式未公開の会社がいわゆるスタートアップというやつである.South San Franciscoの会社が多いのが目につくが,ここはバイオベンチャーの草分けであるGenentech社の本拠地でもあり,多くのバイオベンチャーが林立している町である.
突然のコンタクト
レイオフ発表すなわち転職活動の開始から4日目の夕方,知人へのメールと前記2社へのレジュメ送付以外にはまだ何もアクションを起こしていないにもかかわらず,South San FranciscoのC社の研究員から突然電話を受けた.私の元同僚でSan Diego在住の友人が,ベイエリアにいる彼の友人に私のレジュメを転送し,その人がさらにC社の友人に転送した.ちょうどそのC社でメディシナルケミストを募集しており,上司に見せたところ興味があるとのことで,早速電話がかかって来たのである.結局,間に立っていただいた方についてはいまだに面識さえないままである.この場合,ネットワークとはいっても見ず知らずの人に紹介していただいた形になるが,それぞれの個人間での信用がつながった結果,最終的に間接的な知人に届いたと考えることができる.
第7日
レイオフから7日目,たまたま前記の情報サイトを運営するBiospace社主催のジョブフェアがあったので出向いてみた.求人企業僅か16社に対し,ざっと見たところ1,000人超もの求職者が集まっていた.転職を考えているだけの人もいるので全員が失業中とは限らないが,それでもベイエリアでは当時8%に迫ろうとしていた失業率の高さを実感した.何社かはすでに知人ルートでアプローチしていたので,コネのなかった2社にレジュメを渡したが,そういう状況のためまったく手ごたえはなかった.
夕方,先のC社の人事担当者から電話があり,インタビューを翌週に設定.初の面接アポである.このアポイントメント,上記のように思わぬ形で転がり込んだ.早速個人ネットワークが働いたというわけだ.
第8日
この日,ある理由からGeron社で私の雇用延長の話が持ち上がった.詳細を書けないのが残念だが,まったくベンチャーというのはどんなことでも起こり得るものだ.しかしながらこの時点では,どの程度の期間になるかはっきりしなかったこともあり,就職活動は継続することとした.私はシリコンバレーに留まりたいからである.
同日,Santa Clara市のD社から電子メールにてコンタクト.ここは大っぴらには求人を出していなかったのだが,ある個人的な紹介から話が来た.知人を通じてのみ得られる,まさに隠されたジョブマーケットだ.翌週に予備面接に行くことになった.これらの実例を踏まえて,今回はネットワークというものについて触れてみたい.
アンテナとセーフティーネット
シリコンバレーはベンチャー企業の集積地で,会社の平均寿命も短い.バイオベンチャーの世界でもGenentech社やChiron社のように立派な大企業となった例はいくつもあるが,いってみれば地域全体がトライアンドエラーをくり返している感じである.あるいはシリコンバレー全体を大きな仮想会社のように見立てることも可能だ.それぞれのベンチャーを1つの部署とすれば,どこかがうまくいけば他部署(他社)から人を引っ張ってくることになるし,どこかが行き詰まれば他部署(他社)へ転籍させるといったイメージだ.もちろん全体をコントロールする人事部があるわけではないが,現実的にはそれに近いことが起こっているのも事実である.そして人事部の代わりに機能していると考えられるのが,ネットワークである.それは各自が1つの職場にこだわらず,よりよいポジションを得てキャリアアップするためのアンテナとして機能すると共に,レイオフなどの際にいわゆるセーフティーネット的な役割も果たすことになる.一口にネットワークといっても,いろいろな種類がある.
個人ネットワーク
具体的な形はないが,最も重要なのが個人のネットワーク.あなた自身の人脈である.ここでの定義は「自分の仕事に関連した職場外の知人友人」といった感じだろうか.何かあったときに最終的に頼りになるのはこれしかない.シリコンバレーでは皆多くの会社に知り合いがいて,会社は違っても個人的にはいろいろなことを相談し,アドバイスし合うことも多い.
そんなに相談しあって機密保持などは大丈夫なのかという点だが,会社と従業員間には必ず機密保持契約があるので,いくらオープンとはいっても重要な一線を越すことはない.また医薬品の開発をめざしたバイオベンチャーの場合,基本技術はそれぞれの特許に守られているので,各会社が全く同じことをやっているということは通常考えにくい.それぞれがオリジナリティを発揮しながら新薬の開発をめざしているので,多数の会社があるわりには,具体的な研究テーマが深刻に競合するケースはそれほど多くないのである.もちろんときには訴訟までいくような問題もあるが,逆にお互いに欠けている部分を補い合う形の共同研究も多い.成否はともかくシリコンバレーの仕事がどんどん進み,変化していくのも,かなりの部分はこの土壌に依存していると考えられる.本連載のvol.1(Bioベンチャー1-2月号,参照)にも書いたが,全般的に日本の企業は機密保持に関してちょっと神経質すぎるのではないだろうか.
研究職である筆者にはあまり縁がないが,例えば人事担当者や知的財産担当者,経理担当者などの自然なネットワークもあるようだ.シリコンバレーで流動性が高いのは研究者やエンジニアばかりではない.企業に必須な部署であるこれらの担当者同士は当然知り合いである場合が多く,種々の情報交換が行われている.
ところで個人ネットワークをどうやって構築するのかと思われるかも知れないが,これは意外と自然にできてゆくのである.シリコンバレーのようなところは普段から人材の流動性が高い.そのうえときどきレイオフもあったりするので,1,2年もいればあちこちの会社に元同僚が散っていて,これがすなわち個人ネットワークとなる.自分が職場を変えればその都度新たな人脈ができる.一方,最近はいわゆるソーシャルネットワーキングが一種の流行で,専門の会社やウェブサイトがいくつも立ち上がっているようだ.例え初対面同士でも気合を入れて,さあネットワーキングしましょうみたいなやり方もあるようだが,基本的には自分の仕事を通じて自然に構築されていくものだと思う.
出身国別ネットワーク
上記以外に,出身国に基づくネットワークがあるのも多民族国家アメリカの特徴だろう.人口の多いインドや中国,ベトナム,韓国出身者などがさまざまなネットワークをつくっているという話である.アジアに限らず,ポーランドやハンガリーといった東欧圏出身の人口も多く,出身国ベースのネットワークがあるという.NPOのようなしっかりした形態を取ることもあるが,もっと草の根的なものも多く,とにかく知り合いの輪を広げていく基盤があるようである.そうしたつながりは,やはり不況の際のセーフティーネットとしての機能も発揮する.シリコンバレーの日本人はそのような結びつきが弱いと考えられてきたようだ.理由はいくつか考えられるのだが,1つの原因として絶対的な人数が少ないということは明らかである.
日本人ネットワーク
とはいえ現在のシリコンバレーには日本人ネットワーク活動がいくつも存在する.例えば日本人の起業家を支援するSVJEN(Silicon Valley Japanese Entrepreneur Network),日本人プロフェッショナルを支援するSVJP(Silicon Valley Japanese Professionals),またシリコンバレーで実際に活躍する日本人を中心としたJTPA(Japanese Technology Professional Association)などの組織である.当初これらの活動に参加したのはIT関係の人々が多く,決してそれらに限定されてはいないものの,バイオ,製薬業界からの参加は少なかったようだ.というよりも,もともと少ないシリコンバレーの日本人のなかで,現地採用型バイオ関係者はさらに輪をかけて少ないのである.
Japan Bio Community(JBC)
2002年4月,地域の日本語フリーペーパーに小さな無料広告が載った.「月1回のバイオテクノロジー交流会に参加しませんか」.連絡先のユカさんにメールを出してみたところ,「この地のバイオ企業で働き7年になるが,ほとんど日本人に出会わない.バイオにかかわる日本人の交流会みたいなものがあったらいいのではないかと思った」とのこと.実際にはこの時点でまだ会合は開かれておらず,翌月に第1回の会合が,San Mateo市の居酒屋で開かれた.参加者は僅か8名.会合といっても,要するにただの飲み会である.余談だがシリコンバレーには,多数の鮨屋は言うに及ばず,日本人が経営するラーメン屋,居酒屋,定食屋などもあるのだ.ところでこの企画は,広告を載せた蜂谷由佳さん(Mendel Biotechnology 社)と,もう1人橋本千香さん(Gallasus社)という2人の日本人女性の発案によるもので,後にJapan Bio Communityと命名された.私もこの趣旨に賛同し初回からかかわってきた関係で,その後オーガナイザーの1人として名前を連ねさせていただいている.
ところでJapan Bio Communityという名前は付けたものの,当初のプランはそれほど大げさなものではなかった.所詮小さな飲み会で始まった活動である.ただ外国でやっていく日本人は皆それなりの苦労をしているので,失敗も含めたさまざまな経験を共有することで,後からやって来る人たちが同じ失敗をしなくてもすむのではないかとの意図もあった.そして2回目の会合をもったところで,やはりバイオ関係者にも日本人ネットワークの需要があるようだとの感触が生まれた.バイオ業界で独立したコンサルタント業を営む橋本さんのアイデアで,活動の宣伝と新メンバー獲得のためにちょっとイベントをやってみようということになった.それが2002年10月に行われたパネルディスカッション「米国バイオインダストリーで活躍する日本人たち」である.現地のバイオベンチャーで働く5名をパネリストとして集め,経歴の紹介やアメリカでの仕事についてのディスカッションを行った.これには40名以上の参加を数え,イベントは金曜日の夕方6時にスタートしたが,懇親会が終了したのは11時を回るほどの盛り上がりとなった.
イベント内容に関する参加者からのレスポンスが意外とよく,こういう会合が欲しかったとの声が多かった.これに気をよくして,以来ほぼ2カ月ごとにバイオ研究,バイオビジネス,知的財産問題,米国サバイバル術など,さまざまなトピックでのミーティングを企画し,行ってきている.イベントのたびに新しい参加者があり,メール配布リストは2004年2月現在で220名以上を数える.日本在住の方をはじめシリコンバレー以外の地域からの登録もかなりあり,日本にいるけれども海外に興味のある方々への,現地からの情報発信基地としても機能していきたいと考えている(本誌2003年5-6月号に関連記事).
JBCのウェブサイトはhttp://www.j-bio.org
(第4回「待望のオファー」へつづく)