シリコンバレー転職騒動

Vol. 1 突然のレイオフ (Bioベンチャー 1-2月号掲載)

 

忘れられない日

2003年1月21日,Geron(ジェロン)社は会社創設以来2度目のレイオフを発表した.当時の全社員の40%強にあたる40名.医薬化学部門のSenior Scientistとして働いていた私も,解雇の宣告を受けたのだった.奇しくもこの日は私の39歳の誕生日.後から考えれば,新たな人生の幕開けとしてふさわしい日だったかも知れない.

ひとりひとりが上司との面談で解雇を告げられた後,午後の残った時間は社外の知人に連絡したり,会社に置いてある私物をまとめ始めたり,同僚ととりとめのない会話をしたりしているうちに過ぎていった.今後いくつかの事務手続きがあるため,各種書類のパッケージを渡される.なかには複数の選択肢のなかから本人が決める事項もあるので早く目を通さなければならず,いつまでもショックに浸ってはいられないというわけだ.

Geron社はアメリカ西海岸,サンフランシスコから南へ50km程のMenlo Parkという町にあるバイオベンチャーである.この会社は,老化の防止と癌の治療をめざして1992年に設立された.そのためのアプローチとしてテロメラーゼという酵素に着目している.この酵素は,ヒトが老化すると細胞が分裂しなくなるのはなぜか,あるいは癌になると細胞が無限に増殖するのはなぜかといった問題に深くかかわると考えられている.最近はヒトES細胞を用いた再生医療分野にも注力している.

私は2001年の夏からこの会社で働いてきた.仕事はメディシナルケミストリー(医薬化学)であった.それ以前は日本の製薬会社で働いていたが,あるきっかけで転職したのである.残念ながらその後シリコンバレーの景気は業種を問わず急激に悪化する一方で,多くの会社がレイオフを余儀なくされる事態となっている.

 

活動開始 

その晩から,自宅にてさっそく求人情報のウェブサーチを開始.ここ数年来アメリカの求人,求職情報検索はインターネット抜きでは考えられない.Palo AltoにあるA社という製薬のスタートアップが,ちょうど自分程度の経験を有するメディシナルケミストリーのSenior Scientistを募集していて,興味を引かれる.新しいタイプの抗菌剤開発をめざしているようだ.社名さえ初めて見る会社だが,第一印象で何となくぴんと来るものがあり,スタートアップもいいかなと思う.この日を就職活動第1日としよう.不景気といわれて久しいこの時代,果たしてシリコンバレーでいい仕事を見つけることができるのか,自分がどれほど通用するのか試してみるいい機会だ.

 

雇用はat will 

よく知られているように,欧米の会社にレイオフはつきものである.誰だって解雇なんかされたくないし,その可能性があるというだけでも不安である.しかし考えてみると,経営状態が悪くなっても雇用を最優先していたら,いずれ全員共倒れだ.もしもダウンサイズすることで生き残るチャンスがあるなら,それは全員が職を失うよりもかなり「まし」ではないだろうか.もちろん経営陣にはそこに至るまでの責任を取って欲しいという見方もあるだろう.しかし所詮ベンチャーは「賭け」である.行けるときは全速前進して,方向転換が必要になれば躊躇なく梶を切らなければならない.投資家も経営者も従業員も,ゲーム参加者全員が最初から覚悟のうえでやっているのだ.

ちなみにアメリカでは,就職の際に会社と従業員が取り交わす雇用契約のなかに必ずat willという言葉がある.いつ何時でも,理由の有無を問わず,どちらからでも雇用関係を解消できるという意味を含む.雇用関係は基本的にすべてこのポリシーのうえに成り立っているのだ.

 

転ばぬ先の杖を 

レイオフというのは基本的に個人の過失の結果ではない.だから例えレイオフされたからといって,別に卑下する必要はないのである.また自分さえ優秀なら解雇されないとも言い切れない.場合によってはプロジェクトごと,あるいは事業部門ごとすべて切ってしまうからだ.アメリカのベンチャーでは会社のビジネスの進行状況,あるいは優先順位の変化に伴ってリアルタイムで採用を増やしたり減らしたり,時に解雇したりする.当然ながら目的は事業部門の集中や経費の削減なので,日本でいうリストラと基本的には同じだと思うのだが,実際には多少印象が違うような気もする.

会社が雇用を守ることは重要だし,できれば解雇などないに越したことはない.しかしこれからの時代はより変化が激しくなりそうだし,ならばそうなる前に,場合によっては転職も視野に入れた「転ばぬ先の杖」をもつことは重要かも知れない.人生の選択肢は少ないよりも多いほうがいいのではないですか,という意味である.

 

日本の会社とアメリカの会社 

日本の人からもアメリカの人からも,「日本の会社とアメリカの会社はどう違いますか」と聞かれることがよくあるが,私はたいてい次のように答える.日本の会社で転職経験のある人はまだ一部かも知れないが,アメリカ(特にシリコンバレー)では一般社員から社長に至るまで,転職経験のない人を見つける方が難しい.もう1つは,日本では同業他社への転職は嫌われるが,アメリカでは転職するなら同業他社が当たり前である.それは責められないどころか,これから辞める会社の同僚や上司からもキャリアアップおめでとうと言われることさえある.実際上記の2点は密接に関連していて,アメリカでは,転職をくり返しながらキャリアアップしていくというパスが珍しくないのである.その結果,経営陣に加わる頃には数社の経験を有している事が多い.プロモーション(肩書きや給料のアップ)を伴う場合は最高の転職となるのだ.もちろんこれはベンチャー企業が大半を占めるシリコンバレーの常識であって,アメリカでも他の地域の大企業ではこの限りではない.日本と同様,何十年も同じ会社で働くケースも多いようだ.どちらがいいという問題ではないが,変化が激しい時代には,基本的なスタンスとして流動性を高く保っておく方が対応しやすいとはいえるだろう.

 

あなたはアリ?キリギリス? 

日本でも現在,自分が働く会社も将来は危ないかも知れないと考える人は多いだろう.一方そうは言いつつもうしばらくは大丈夫なのではないかとも.学校を出た後すぐ会社に就職し,その後長年その会社で働いてくると,会社は自分の家のようでさえある.年数が経つに連れ,交友関係は社内の人間ばかりになってくる.もしもその状態で解雇されたり,会社がなくなってしまったりしたらどうだろう.そのときはそのときと開き直るのもいいが,一種の天災のようなものと考えれば,事前に備えのある人とない人ではその後の再スタートに差が出ることは容易に想像できる.人材斡旋会社などあてにしてはいけない.特に競争が激しくなる不況下ではなおさらである.

シリコンバレーでは,実に頻繁にこの「天災」が起こっている.つまりいつかそういう事態になることがかなり現実的なこととして予想されるので,アリとキリギリスの話に例えることもできる.アリは冬に備えて餌の確保に余念がないが,シリコンバレーのアリタイプの人々は現在の仕事に加え,個人レベルでのネットワーキングに励むのである.これはレイオフのような危機に備えるという意味もあるが,自分の研究やビジネスを有利に展開するチャンスを広げるというのが本来の目的である.一方,日本でアリタイプといえばひたすら会社の仕事をこつこつとやる人で,社交に励むのはむしろキリギリスのようなイメージかも知れない.

 

機密保持かネットワークか 

転職のためだけではなく,もっと積極的に社外の人との繋がりを増やす努力,すなわちネットワーキングをしたらいいのではないかと思う.などと書いている私自身,日本にいたときにはそんなことを考えもしなかった.社内で機密保持に関して敏感な意識をもつように教育されてきたこともあり,たとえ学生時代からの友人であっても,同業他社の人ということになれば会話にも結構気を使ったりしたものだ.学会での質疑応答などにしても重要な部分はお互いに隠したりして,フラストレーションが溜まるもののそれは仕方がないと考えていた.いうまでもなく機密保持は重要である.しかし現在思うのは,情報開示に必要以上に神経質になるよりも,例え競合する会社同士であっても,個人レベルではある程度オープンな議論をする方がお互いのためになるということだ.特に製薬会社の場合,すでに特許が公開されているにもかかわらずその内容を語ることさえためらわれたりするものだが,お互いの問題点などを率直に話し合えれば,現状よりもいい解決策のヒントが得られるかも知れない.またそうしたことが結果的に「転ばぬ先の杖」にもなるのではないかと思う.

 

人脈の活用 

ところで今回のレイオフから遡ること7カ月,2002年6月に私は初めてレイオフというものを目の当たりにした.私自身はもちろん,Geron社としても設立11年目にして初めてのことだったので,それなりの衝撃だった.全社員を集めCEOから短い説明がなされた後,全員職場に戻って1人ずつ順番に上司と面談する.自分の順番を待つ間の緊張感はなかなかのものである.このとき私は対象にならなかったが,同じグループの同僚全員が会社を去ることになり,その日はかける言葉もなく立ち尽くすしかなかった.しかし他の人たちは,自分が残るかどうかに関係なく直ちに他社の知人友人に連絡を取り,現在採用があるかどうか問い合わせたり,そうして得られた情報をメールで流したりと,実に速やかな対応をとるのだった.

そして一時天を仰いでいた人たちも意外と早く元気を取り戻すのにはちょっと驚いた.非常に景気がよかった1990年代後半と違って再就職にはかなりの困難が予想されるにもかかわらず,みんな意外とさばさばしている.突然の休暇ということにしてとりあえず旅行に行ってしまう人や,聞けばレイオフ経験が初めてではない人も相当いる.もちろん自慢になるものでもないが,この3年で3回目といった話をけろりとする人をみると,ツワモノだと思わずにはいられなかった.考えてみればシリコンバレーでは,景気のよかった時期にも経営が悪化したベンチャーはいくらでもあったわけだし,結局レイオフはいつの時代にもあるのだ.そして多くの場合その受け皿も用意されているものだ.実際その後半年ほどの間に,大部分の人たちが次の仕事を見つけていった.ここで重要なことは,同時に動いた人の数だけ他の会社に人脈ができることである.シリコンバレーはもともと自発的な転職も多く人材の流動性が高い.それにレイオフによる人の移動も加えると,短期間にかなりの数の元同僚がさまざまな会社に散っていくことになり,結果的にそれぞれの個人ネットワークが広がることになる.それがさらに将来の転職のきっかけや助けになったりもするわけだ.

ただしこれは,ベイエリア(サンフランシスコ湾を囲む地域一帯)の立地条件による部分も大きい.車で1,2時間の距離のなかに製薬関連だけで100社以上のベンチャー企業がひしめいているので,大半の人は同じベイエリア内で次の仕事を探すからである.

 

神風吹く? 

冒頭に書いたように2003年1月に2回目のレイオフを体験.このときはかわし切れず,私もついに対象となってしまった.ところがその直後にちょっとした神風(?)が吹いて,私の場合のみ例外的に解雇が一時撤回されることになった.残念ながら詳細は書けないのだが,しばらくの間Geron社での雇用が続くこととなった.ただし,しばらくというのがどの程度かはっきりしなかったこともあり,引き続きシリコンバレー内での転職活動を行うことにした.私はシリコンバレーに留まりたいからである.

こうして始まった転職の顛末について,これから1年間に渡り紹介させていただく予定だ.

(第2回「転職の一般的手順」へつづく)

 

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